1月9日の朝刊一面の記事を読んで感じたこと

1月9日の朝刊一面に、社内外で「投げ銭」を使った評価や感謝の仕組みについての記事がありました。

記事の中で、同僚から
「あの振り回される業務をよく切り抜けたね」
というメッセージとともに、40ポイントの投げ銭が届いた、というエピソードが紹介されていました。

正直に言うと、私はそこに違和感を覚えました。
お菓子や飲み物ではなく、「ポイント」という形であること。
ポイントとはいえ、実質的には金銭ですよね。

「お疲れさま」と言って100円をもらうことが、果たして嬉しいのか。
私は、お金よりも気持ちのほうがずっと嬉しいタイプなので、
メッセージだけで十分ですし、
もし身近に頑張っている同僚がいたら、
「すごいね」と声をかけたり
一緒に手を動かしたりして関わることのほうが大切だと思っています。

さらにその投げ銭は、同僚が身銭を切るわけではなく、
会社が報酬として上乗せする仕組みだそうです。
それならなおさら、会社がきちんと評価する制度を整えるべきではないでしょうか。
「いいね」を押すことで同僚の評価や報酬に影響する仕組みには、
どこか居心地の悪さを感じてしまいます。

私は、顔の見える関係の中で、「ありがとう」に金銭が伴うことに、
やはり強い違和感を覚えます。

記事は、子ども同士の世界にも触れていました。
観光地を教えてもらったり、勉強を教えてもらったりした際に、
ポイントでお礼の投げ銭をするという話です。

これはさすがに、どうなのだろうと思いました。
子ども同士でお金的なやり取りが始まると、
人間関係の「余白」がなくなってしまう気がするのです。
しかも自分で稼いだ金銭ではありません。

遊ぶことも、勉強を教えることも、
本来は善意や純粋な気持ちから生まれるもの。
評価や見返りのためにするものではありません。

私は、人間関係には
「制度やルールで区切られた部分」と
「お金では買えない余白のネットワーク」
があると思っています。

その余白の中にこそ、
お金を出しても、勉強しても手に入らない、
かけがえのない価値がある。
感謝をお金で買えるようになったら、
それはとても寂しい社会だな、と感じます。

特に子どもは、自分でお金を稼がない存在です。
金銭で語れない世界の中で育つ大切な時期に、
親のお金を使って投げ銭をすることには、私は賛成できません。

これは大人になってからも同じです。
近所のガーデニング仲間のおばあちゃんを、
ホームセンターに行くときに一緒に誘う。
そんな何気ない、でも温かい関係性が、
地域や社会を支えているのだと思います。

私自身、小学5年生のときに、
中学生以上が出場する卓球の試合に出ることになりました。
親から「勝ったら好きなものを買ってあげる」と言われましたが、
「欲しいものを買ってほしいから頑張るわけじゃない」と答えました。
子どものころのプレゼントといえば、
お手伝い券や肩たたき券。
あれこそ、プライスレスな心の交流だったなと思います。

人類学者のデヴィッド・グレーバーは『負債論』の中で、
人と人との関係は、そもそも「すぐに精算されない贈与」から始まっている、と書いています。

贈与は、貸し借りをはっきりさせない。
いつ返すのか、返さないのか、金額(価値)も、そもそも返す必要があるのかも決めない。
だからこそ、贈与は人と人の関係を続けられるものだと。

記事の中では、新入社員が仕事で重視する点のトップが「成長」、
最下位が「競争」だとも紹介されていました。
競争にさらされ続けてきた疲れもあるのでしょう。

でも、「ありがとう」が金銭に置き換わる社会では、
結局、競争から離れることはできないのではないか。
そんなことも考えさせられました。
成長と競争は、実はとても近いところにある気もします。

大切なのは、心がどうあるか。
心は、お金では買えない。

人と人との関係は、単純な取引では割り切れない。
そこにこそ、美しさや愛しさが宿るのだと私は思うのです。

日経新聞の記事はコチラ

投稿者 yuki

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