今の世の中、どこか自分らしさを出すのが怖いと思いませんか?
自分の本当の気持ちを表すのが怖い
大勢の意見と違う場合は、何も言わないほうが安全。
そのように思ってしまいがちですよね?
今の日本人には以下に挙げる3つの美学?があるように思います。
「誰かの役に立つように」「だれにも迷惑かけないように」「自己責任」
上記は当たり前のように感じるますが、なんだか息苦しさがありませんか?
「助けて」「お願い」「ゆるして」を言えますか?
「誰の役にも立てない」「誰にも迷惑をかけられない」「自己責任」だから抜け出せない。ひどい場合は死ぬ決断をしてしまうのでしょう。
日本の高度成長期を支えた年齢の高い人の時代背景は、「競争」「効率」「均一」「服従」です。
「競争」は50年前の日本には、洗濯機やテレビが各家庭にない時代。いかにシェアを獲得できるかが、競争されました。24時間働けますか?の時代。
「効率」は機械化が進む過程において、人を機械のように使わざるを得なかったのでしょう。
「均一」は教育や、職場での価値基準が均一化され、自分の意見を述べたりすることは教師や職場の上司からは煙たがれます。金太郎あめみたいな子供を量産したなどという言葉も聞いたことがあります。
「服従」終身雇用が最上級であり、問題を起こさず勤め上げるのが美しい時代でした。「仕事」は会社の利益。という大きな間違い。最近では半沢直樹とかが、わかりやすいですか?(観てませんけど)私の感覚では、戦争の時代と変わらない。「非国民扱い」されたくないという文化がいまだ根付いています。
「競争」「効率」「均一」「服従」を否定はしません。ただ、それはもう過去なのです。
個々人の特徴を8角形のチャートなどで表すと、均一ではないはずです。今までの教育や社会は、低いところがあれば「劣等生」高いところがあれば「潰してしまう」ことがあったのではないでしょうか。
先生や上司からしたら「やっかいモノ」扱いでしょう。
そしてそれももう過去です。
これからの世の中に必要なのは「容認」だと思っているのです。
例えば日常生活においては
「形が悪いパン屋さん」
「在庫が無くてほしいものが買えない」
「オーダーが遅い食堂」
「大きさがまちまちなお野菜」
「ぎごちないコンビニの店員さん」
「宅配の遅さや、ほんの少しの汁漏れ」
「クリーニングの出来栄え悪さ」
これを私は日常生活の彩だと考えています。容認し、楽しむようにしたいです。
生活の全てはTPOで、+αのお金を払えば、良いサービスは受けれるはずですから、使い分けると良いですよね。
私もまだまだ道半ばです。違いを楽しめる大人を目指していこうと思います(o^―^o)