人生のは選択の連続
今の私なら、今日は何時に寝ようかな、まだ寝たくない。だとか、明日の朝ごはんに登場する食材は、ジャガイモか、里芋か・・・。
そんな小さな選択もいちいち夫に聞いたりする鬱陶しい性格の私だ。「ねえ、何時に寝よう・・・」「朝ごはん里芋とジャガイモどっちがいい?」
まあ、そんな選択はどちらを選んでも良いし、悩みというほどのことでもないけれど、私の人生でも大きな決断をしなければならない場面が時々起こる。
そんな時、何を基準に選択するか?
3日悩んで決められなければ、どっちでもよい
基準はシンプルで
3日悩んで決められない時は、どの選択はどちらを選んでも良い。と判断する。
道に例えると、悩みの種類がAかBかの分かれ道で3日間以上悩んでいるならコイントスで決めればいい。
それぞれの道のメリットデメリットを一生懸命考えても、未来は見えないのだから、行ってみなければわからない。一方を選んだらその道を楽しんで進む方法を考えればいいだけだ。
同じ道を歩くか、Cという分かれ道に行くか、という悩みであれば同じ道を歩けばいい。
新しい道に魅力を感じないのであれば、選ばない。当然だろう。
悩みのタネは自分以外にある
実は、自分の中で迷っている。という現象が起こる時には決まって自分の気持以外の要因がある。
家族、親、会社、友達、お世話になった方々に申し訳ないとか。
一人で生きている訳じゃない、周囲の人々を蔑ろにできない。自分は自分勝手な人間ではないのだ。と強く思う自分も、結構好きな自分だったりする。
だから、誰かに相談して、「あなたの好きなようにしたらいい」「親もきっとあなたの幸せを願っている」などと言ってもらい、自分勝手に決めたわけじゃないという裏付けが欲しいということがあったのだと思う。
それはどういうことかというと、人に悩みを相談する時点では既に答えが決まっているということだ。
今日が人生最後の日かもしれない
2014年にNHK白熱教室にて「幸福学」を放送していた時に、余命僅かのホスピスの患者に「人生で一番後悔していることは何ですか?」と問うた結果を見た。
心臓がドキドキしながら視聴したのを今でも覚えている。
①「人の期待に応える人生ではなく、自分に正直に生きる勇気が欲しかった」
②「あんなに働かなければよかった」
③「勇気を出して自分の気持ちを伝えればよかった」
④「友だちとつき合い続ければよかった」
⑤「自分が幸せになるのを許せばよかった」
誰も「もっと勉強してよい大学に入ればよかった」とか、「もっと仕事をして偉くなれば良かった」などと言わないという事実に私はショックを受けた。
信託銀行の営業職員として自分に足りないものを補おうと必死になっている時期であった。
この番組を見て以降、明確に自分の中に選択時の基準ができた。
それは「人生最後に後悔しない選択をする」ということだ。
今日が人生最後の日だったら、どのような生き方、選択をする自分でありたいか。