2025年、私を表す漢字は「支」
公私共に、支えられて生きていることを
これほど実感した年はありませんでした。
まずは私自身のことから。
いかなる時でも私を全肯定してくれた母という支えを失い、生きている意味がわからなくなる感覚に陥りました。
私をこの世に送り出した存在がいなくなるということは、同時に私もいない、ということなのではないか。そんな感覚です。
正直なところ、母が亡くなる直前まで、こんな気持ちになるとは一ミリも想像していませんでした。
お別れを覚悟する時間が長くあったので、自分としてはすんなり受け入れる予定でした。
涙さえ出ないのではないか、くらいに思っていたほどです。
それが実際には、突然両足を切られたかのように支えを失い、その衝撃に耐えられなかった、という感じでした。
振り返ってみると、亡くなる1年前から母と共に体調不良であったのに、私はそれを感じないようにしていたのだと思います。
心と頭と身体が、バラバラに動いていた感じでした。
頭での合理的な考えとしては、誰しも当たり前に死ぬのだ。100%間違いはない。死は悲しいことじゃない。人間の営みとして自然なことだ。自然を受け入れるのだ。
しかし自分はそんなに強い人間ではなかったのです。
心配なときは心配だと、
悲しいときは悲しいと、
自分の感情と向き合ってこなかったのだな、と今になって思います。
その前後、支えられていることを強く実感する出来事が続きました。
たくさんの方が心配してくださったことが、本当にありがたかった。
しっかりお応えしたかったけど、蓋をしている心配や不安、そして喪失という心の箱に手を突っ込むのが怖くて、結果、どのような言葉を返せばいいかわからず、口数が少なくなってしまい、申し訳なく思っています。
会ったこともない母を心配したり、悼んでくださることが、心から嬉しく、慰めになりました。
普段あまり交流のない親戚も、心強い存在でした。
冠婚葬祭では、親戚の力が本当に発揮されるのですね。
「すごいな」と感心すると同時に、安心もしました。
公の場面でも、多くの支えがありました。
2月には、初の対面での井戸端ダイアログ(金融機関に勤務する女性の交流会)を実施し、大盛り上がり。
続いて9月にも開催することができました。
これは一人では決して運営できず、
谷野知美さん、二ノ宮麻衣さん、岩穴口香織さんをはじめ、
本当に多くの方に支えていただきました。
(隊長には常に温かく、力強く支えていただいています)
3月には「浄酎飲み会議」と称したイベントもあり、
ダブル幹事を引き受けてくださった大江加代さんには、
言い出しっぺの私をがっしりリードしていただきました。
仕事って、こうやって進めるものなんだ。
そんな多くの学びをいただいた時間でした。
また、出身金融機関で研修を行えたことも、大きな出来事でした。
実現のために動いてくださった方がたくさんいて、
本当に「気持ち」で動いてくださったことが伝わってきました。
しかも、サラリと。
研修に向かう途中、若いころのさまざまな出来事がぶわっと思い出されて
「やばい、研修内容を一気に忘れた」と焦りましたが、
会場に入った瞬間、その郷愁はすっと消えました。
独立してからは、あえて誰ともつるまずにきました。
どんなにご恩があったとしても、
どんなに地位のある方であっても、距離を取っていたと思います。
理由はいくつかありますが、
何より社名が「フィデューシャリー・パートナーズ」ですから、
利益相反を強く意識せねばなりません(笑)
書きながら自分で笑っていますが、これは真面目に本当の話なんです。
経営理念と社名を常に掲げて、行動を決めてきました。
ただ、距離の取り方は正直へたくそだったな、とも思います。
でも、もう練習は終わったかな。
そんな段階に来ている実感があります。
今年は、一人ではできないことが本当に多い年でした。
多くの人に支えられ、なんとか大晦日を迎えられています。
私に関わってくださった方、
応援してくださった方、
そして、応援してくださっていない方も含めて(笑)
本当にありがとうございました。
来年は、気持ちの上ではアクセルを踏みたいところですが、
あえて「のんびり」を目標にします。
体調不良もあり、身体の動きは停滞する可能性が高いですが、
発信と勉強、無理なくできることを、淡々と続けていきます。
母が最期に残してくれた教訓は、
「誰かに支えられて生きている」ということ。
本当に、皆さんに感謝です。